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社会的養護のアフターケア事業における支援事例【5】〜NPO法人えんじゅのお取り組み〜

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2022年の児童福祉法改正によって、アフターケア事業の対象者が広がることになりました。

「社会的養護の措置解除者(退所者)」から、「社会的養護経験者“等”」へ。虐待経験がありながらもこれまで公的支援につながらなかった人たちも、事業の対象に含まれることとなりました。

そこで今回は、その変化に合わせて活動を展開されている、社会的養護のアフターケアに取り組む団体で構成する全国ネットワーク「特定非営利活動法人えんじゅ」の理事長 高橋亜美さん、副理事長 矢野茂生さんに、活動の想いや法改正によって変わってきていること、今後の展望などについてお伺いしたお話を全6回の連載形式でお届けしています。

前回の記事はこちら

第5回の今回は、現在のご活動で大切にされていることについてお話をお伺いします。

現在のご活動や支援のあり方で大切にされていることはどんなことがありますか? 


  

先ほど亜美さんが言ったことと全く一緒で、自立よりも孤立を防ぐことが大事だし、その孤立する前の安心を増やしていくことも大事です。本人がやっぱ楽しくないと支援者もバーンアウトしてしまって、もたないですしね。 

 

だから、みんなで楽しいことを積み重ねていくことが大切で、楽しいこと=安心安全 だと僕は思ってるので、よくいろんなとこで言われてるように人をうまく頼れるようになる力が大事なんです。 

 

亜美さんが言ったように、自立っていうキーワードがど真ん中にあったら、なんか本当に息が詰まっちゃうみたいになるので、それよりも楽しいとか安心をどうやって増やしていくのかっていうことと、どうやって繋がり続けるのかっていうことのその先に参加のフレームが出てくるのかなと思います。 

 

それを全部ひっくるめて、業界的に言うと自立かなみたいな、なんかそんなムードですよね。僕はそんなふうに感じています。 

楽しいや安心を増やしていく関わり、とても素敵ですね。

高橋さんはいかがですか?

矢野さんが参加って言ってくれて、参加。本当そうだよねと思ってまして。 

 

「やりすぎ福祉」や「背負いすぎ福祉」と最近言っています。こっちが一生懸命「自立だ」「大変だ」って言って、本人を置いてけぼりにして支援者が頑張りすぎて、やりすぎちゃうっていうことがあります。そうすると本人に委ねるっていうことが、いつの間にかもうできてなくって。   

 

ラベリングして「あなたは被害者で大変だったね」っていうのをあまりにやりすぎちゃうと、ただただ被害者性を強化していくっていうのと、まず被害者であるってことはそうかもしれないけれど、ただ被害者の被害を受けたっていう一面だけをずっとクローズアップしていくようなやり取りは、ゆずりははもう卒業しました。 

 

そしてあと、やりすぎ福祉と被害者性を強化するのは、本当に「人のせいにする星人」を生んで、 社会が悪い、支援者が悪い、親が悪い、それで自分はずっと不幸だと言って、もうね、せいにしてたらね、ずっと不幸だよと。 

 

だから、「自分の生きてるっていうことに自分が責任を負うこともひっくるめて応援していくから」みたいなスタンスです。 

 

そこ意識してないと、主体性とか生きる力とかを奪っちゃって、さらにはモンスター化させてしまう。いつまで経ってもずっと恨み辛みをグチグチ言い続けてる。そういう人たちとどうやって安心を育んでいくか、一緒に生きていくか。なかなか簡単ではないです。

 

あと、重い荷物を代わりに持ち続けるじゃなくて、重い荷物は自分で持ってくしかないんだっていうのがあって、だけど、持ってるのをそれはもうおろしてもいいんじゃないかっていうアドバイスや、カバンの持ち方、こういう風にすると持ちやすいよとか、リュックにしてみたら。とか、そういう提案なら私たちできるかなって。でも、代わりに持ち続ける支援をやってはいないだろうか。っていうのを問いながらやっています。


  

ありがとうございます。 
支援者と支援を受ける側という構図から抜け出て、1人の人としてどう付き合うかとか、一緒に参加をしながらその先に先に社会に参加することが大切ですね。 

そうですね。いろんな面を発見していくことも大事ですね。1人では見つけられない「ただ被害者だけじゃないよ」「あなたにこんな素敵なところあるよ」「面白いよ」みたいないろんなところを。 

 

自分では見えない背中とか、横顔とかを、 こちらが言うと「ここは自分が大切にしていいんだ」とか、「 そこは自分の素敵なところなんだな」ということを、やり取りの中でまた見つけていくことを大事にしたい。1人の人間として見ています。 

 

被害者として見ていくっていうのはもう嫌で、そうやってきちゃって「他責モンスターにしちゃったな」と、反省も含めてです。


「やりすぎ福祉」って本当、言葉にするとそうなんですよね。 

 

自立援助ホームをやっている頃は、児童自立支援施設からうちの自立援助ホームに来る流れがほとんどで、 見た目が派手で近所のおばちゃんたちは「怖い、怖い」みたいな雰囲気で、養護施設とか里親さんの子どもでも「あそこの自立援助ホームは行かない方がいいよ」みたいな話があったりとか、色々あったんです。  
 
でも児童自立支援施設に僕はずっといたので、もう遠慮なくその児童自立支援施設からガンガン預かってたんですよ。 

 

その時に地域の中で、 うちの施設に反対していたおばちゃんが、ある日すごい煮物を作って持ってきてくれたんですよね。   

 

それで、そのおばちゃんが荷物持って持ってきてくれたから、びっくりしておばちゃんと話をしてたら「もう私が悪かった」っておばちゃんが言い始めて、話を聞かせてもらうと「近くの大学生でもあんな挨拶見たことがない。あんたのとこの子どもは立派や。朝、私がゴミステーションを清掃してたら、お疲れ様です、おはようございますって言ってくれたんよ。私はもうその一言に感動して。」と、煮物を持ってきてくれたんです。 

 

その話をその子どもが帰ってきた時にすると「いや、マジっすか。」とか言いながら、ちょっと照れた顔して。 

 

そして次の日からどうなったかっていうと、うちのホームの若者がみんな挨拶をし始めるんですよね。   

 

これで何が言いたいかというと、少しやりすぎ問題に関わるんですが、「僕らだけで全部をやろうとしてないか」っていうふうに僕はいつも思っています。  
 
なんか専門職で「連携」とか「繋ぐ」って口々で言ってる人ほど、連携と繋ぐができてないなっていうことを話したいんです。福祉やりすぎ問題と、ねばならないみたいな話ばっかりで。 

 

もっと僕たちは、いろんな企業さんでも地域の人でも、その辺のおじちゃんおばちゃんでも、いろんな人を巻き込んでいくためには、「僕らが閉ざしてた文化をどうやって開いていくのか」っていうことです。   

 

そうすると、たしかに共通言語が最初は少ないんですけど、たくさんの人がそこに集まってくれて、例えば今うちの事業は、家族も地域の人もいろんな人が入ってくれるんですよね。  
 
やっぱりそうしないと、結構僕らが、僕らだけの孤高の文化を変に守り続けてるのはどうなのかなって思います。 

 

僕らの固有の文化を1回扉を開いてみると新しい形のものができるんじゃないかなっていううことを、今亜美さんの「福祉やりすぎ問題」を聞いてすごくそう思いました。いい言葉だと思いますね。 

高橋さん、矢野さん、ありがとうございます。

連載最終回となる次回も、引き続き支援で大切にされている関わりについてお話をお伺いします。