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児童虐待のこれまでとこれから 〜過去20年の施策をふりかえって〜【前編】

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前回の特集で「こども基本法」についてお伺いした、子どもの虹情報研修センター(日本虐待・思春期問題情報研修センター)の増沢高先生に、今回は「児童虐待」に関してお話を伺いました。

前編と後編、2回に分けてインタビュー内容をお届けしています。

ー 今回は増沢先生に児童虐待についての歴史を教えていただきます。まずは児童虐待の今について教えてください。

はい、法律にかかわるところなので難しいところもあると思いますが、よろしくお願いします。

児童虐待の統計が開始されたのは1990年からです。残念なことに児童虐待の対応件数は増加する一方。なかでも、虐待によって子どもが亡くなる悲しい事例は、たびたびニュースなどで大きく取り上げられています。

児童虐待による死亡事例について、2004年から国が検証を開始しました。そして、各自治体に重大事案の検証を行うことを義務化したのです。

最近の報告では、虐待による死亡事例(心中を除く)のうち、3歳未満が59%、0歳児が49%となっています。家庭内で過ごすことの多い小さな子どもが、多くの割合を占めていることがわかりますね。

こうした事例の多くが予期せぬ妊娠であることや、未受診妊婦であることなどの問題が注目され、妊娠期・周産期のお母さんたちをいかにサポートすべきか?ということが考えられるようになりました。

また「心中による虐待死」の背景には、保護者が精神疾患をかかえているケースも少なくなくありません。こういった人たちをどう支援してゆくかも、制度として考えていかなければなりません。

今回は2022年に児童福祉法が改正されました。この法改正を理解するにあたって、今までの歴史について教えてください。

まずは子どもの権利条約と日本の対応についてが、とても重要です。

1989年、「子供の権利条約」というものが国連で採択されました。これは、子どもの基本的人権を保障しましょうという条約です。世界的に子どもの人権に対する意識が高まる中、日本も国際的な潮流の中でこの条約に批准(ひじゅん:条約に対して同意)することになります。

しかし、当初日本はこの条約への批准に後ろ向きでした。戦後、日本は高度経済成長期を経て、先進国の仲間入りを果たしました。そのような中、「日本は豊かな国である。こういった条約は貧困国家の子どもたちを守るためのものであり、今の日本の子どもたちには必要ない。」という認識があったように思います。「権利」という言葉も、どこか偏った良くないイメージを持たれていました。

このような状況でしたので、日本は1994年に子供の権利条約に批准した後も、特に国内法を整備することなく、「児童虐待防止」という事項が通知されるのみにとどまりました。

しかし、この通知により児童相談所が家庭内の虐待に介入するようになると、日本の虐待の現状が明るみに出ることとなります。

目をむけられていなかっただけで、この頃の日本にも、虐待によって基本的な人権が守られず、辛い思いをしていた子どもたちが存在していたことがわかってきたのです。

そして1980年代、児童虐待の現状がセンセーショナルに新聞などで取りざたされるようになると、児童虐待に対する社会的な関心が高まっていきます。

そうした中で、2000年に制定されたのが「児童虐待防止法」です。

今回改正された児童福祉法は、1947年に制定された法律で、母子を守る国内法として最も重視すべき法律ですが、2000年の児童虐待防止法制定以降は、児童虐待対応に関する施策を中心に法改正が繰り返されてきています。

ー 児童福祉法は1947年にできた法律なんですね。その後具体的にどのような改正が行われてきたのでしょうか?

まず児童虐待防止法以降の大きな改正として、2004年の改正があります。この改正では、要保護児童対策地域協議会が法定化されました。

要保護児童対策地域協議会(以下、要対協)とは、要保護児童、つまり虐待を受けた子どもなどに対して、関係機関が連携をして対応するために市町村が設置するネットワークです。児童相談所や学校、警察、幼稚園や保育園、教育委員会など、多くの関係機関によって構成されます。

児童虐待や非行などの事案についてはそれまで児童相談所だけで対応してきましたが、要対協の設置によって市町村も対応を担うこととなります。中には、児童相談所が介入せず、市町村と学校だけで連携して対応するようなケースも出てくるようになりました。

要対協では、様々な機関が関わり、連携をとってゆくことが理想ではありますが、それが十分に行えてはいないのが実情です。特に児童相談所は虐待の対応に追われ、それ以外の事案には手が回っていないところが多いように思います。不登校などの問題にも、以前は児童相談所が関わっていましたが、現在はほとんど市町村だけで対応していることが多いようです。

ー 2004年の改正によって、要対協というネットワークが設置されるようになったんですね。このあとにも改正は続くのでしょうか。

はい、2008年の改正です。

はじめの死亡事例のお話の中にも出てきたように、児童虐待をなくしてゆくためには、赤ちゃんやそのお母さんをしっかり支えないといけない、と考えられるようになりました。

その流れで、この改正では全戸訪問事業が開始されます。赤ちゃんが生まれたら、自治体の保健師さんなどが訪問して、赤ちゃんの様子をみたり、お母さんのお話を聞いたりする事業があることは、ご存じの人も多いでしょう。ただ、この訪問については否定的な意見も一定数あります。家に来て、子育てのことを何か言われたりするのではと抵抗感を持つ親もいることでしょう。

訪問してもらえてよかった、と思ってもらえるように、ただ訪問するだけではなく、商品券や子育てに役立つものを贈るなど、自治体がそれぞれにいろいろな工夫を凝らしているようです。

こんな風に、支援を受けることが“お得”と感じられるようになると、未受診妊婦なども少なくなってくると思いますが、この点においては日本はまだまだ他の国に遅れをとっているところです。

今では当たり前になっている赤ちゃん全戸訪問もこの時期から開始されていたんですね。知らない人が家に訪問するハードルは高いと感じる方もいると思いますし、「お得感」は大事な要素だと感じます。

その後も法改正は続いていますよね?

はい、次に2009年の改正です。

2009年の法改正では、「家庭養育優先の原則」および「家庭と同様の環境における養育の推進」という国連の指針が採択されました。このことは、児童養護施設など、いわゆる施設での養育を行う社会的養護において、大きな影響を与えることとなります。「施設養育は、より家庭的に、より小規模に行われること」「施設措置よりも里親措置を増やすこと」が推進されることになります。

施設ではたくさんの子どもたちが生活していますが、それをなるべく少人数の単位に分けて、場所も一般の住宅のような環境で生活するような形にしていったわけです。また、より家庭的という意味では、施設にいれるよりも里親さんのところで生活できるようにしていこうという風になりました。

ただ、“家庭的”という言葉は非常に曖昧で、何が家庭的なのかは文化や人種、時代によって異なります。この当時、国連で目指された“家庭的”は、ヨーロッパ中心の考え方を押し付けるものだったのではないかと近年では議論されています。

日本を含め、アジア諸国ではもともと家庭は大家族単位で生活する民族性があり、かならずしも小規模な生活単位が家庭的とは言えません。

子どもを施設で育てるのは良くない、と考えられるようになったのは、孤児院についての研究などで様々な問題が指摘されることになったことが影響しています。しかしそれらの問題は、研究当時の社会的混乱や戦時下における孤児院の劣悪な環境が子どもたちの発達影響を及ぼしたものであり、施設養育そのものの影響とは言いきれないのです。

増沢先生、ありがとうございました。

今回の「児童虐待」に関する記事の後編では、その後の法改正や世の中の流れについて詳しくお伺いしていきます。

※本記事の一部を訂正致しました(2022.11.18)※